文明退化

勉学に励むのはやめろ

2022 断片とか

1. ブログを更新するのを怠っている間に年が明けてしまった。とはいうものの、当ブログ*1の更新を誰かが待ち望んでいる、ということも別にないだろうから、怠って、という表現には少し違和感がある。更新しない間に、くらいが一番適切かもしれない。

 

2. 案の定、年の始まりは寝正月という感じで、一年の計が元旦にあるなら今年は寝まくりの一年になってしまうだろう、と思ったところで、昨年は寝まくりの一年だったことを思い出し、今年も寝まくりの一年になることを半ば確信した。睡眠は難しい。

 

3. 最近は Splatoon2 に再び没頭している。このことについて何となく考えていたところ、趣味において*2大切なことは、その物事に興味があることではなくて、その物事に没頭できることなのではないか、と思うようになった。ついでに、興味という概念はだいぶその内実が怪しく、ぐらぐらしていて、実践において頼るにはあまりにも貧弱なんじゃないか、とも思った。ここで大事なのは、興味の有無というのは実践より前にある、実践に先立つわけだけど、没頭というのは実践の後にしかない、ということ。長々と書いたけど、要は、とにかくやってみないと始まらないなと切実に思った、という話。腰が重くない人には全然アタリマエな内容なんだと思うけど、腰が6000キロトンくらいあるので、こうやってごちゃごちゃ考えたのちに心底納得する、というプロセスを経ないと何かができない。

 

4. 睡眠の話の続き。自分は夜型な上に、夜の時間の方が昼の時間より圧倒的に充実度が高い*3ので、朝起きて夜寝る生活は少しつらいし、なんだか損をしている気分になる。とはいえ、夜更かししすぎて昼下がりに起きるのも、それはそれで損した気分になってしまう。どうしたものやら*4

 

5. 用もなく外出しているときは、特に何もしていなくても何となく楽しい気分になるけど、家で何もしていないときは、だいぶ退屈で不愉快な気分になってしまう。どうしてかな、とぼーっと考えていたところ、用もなく外出しているときは、何をするかの選択肢がほぼ無限にある(あるいは、そのように感じられる)けど、家にいるときは、何をするかの選択肢が少ない上に、直面している暇に対して、それが貴重な余暇の時間であることを強烈に意識させられるからだという結論になった。とにかく、家でやりたいことがないときは何となくでもいいから出かけよう、と思った。

 

6. 別に書きたいこともないのに文章を書くと、どうにも微妙な感じになってしまう。書きたいことがないときの方が心の調子がいい傾向にあるため、これについては喜ばしい。かもしれない。

*1:本ブログ?当ブログ?

*2:正確には、趣味において、というよりは気晴らし一般において。かもしれない。

*3:一般的事実。

*4:今年の目標の一つは早寝早起きだったはずなのにこんな文章を書いてしまった。本気度の低さが透けて見えてくる。